タイトル イチジク
日付

2022.12.18

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イチジクの旬は11月までだそうなので、描こうと思っていたらなんやかんやで遅くなっていってかなりの遅刻です。
さて、FC2アダルトの規約でHPが閉鎖となりましたので(触手や性行為のシチュエーションなどが不味かったみたい)、別のところに開設しました。

https://ginkosakaki.wixsite.com/my-site

WiXは少々不慣れで上手いこと作れていません。オシャレっぽいテンプレがあるのは良いのだけど、ちょっと重いのもネックかなぁ。

【イチジク】
イチジク(無花果、映日果、一熟)は、クワ科イチジク属の落葉高木(学名: Ficus carica)、またはその果実のことである。果樹として世界中で広く栽培されている。小さな花が多数入った花嚢をつけ、雌雄異株で、雌株の花嚢が果嚢になる。これがいわゆるイチジクの果実とよばれており、古くから食用にされている。

【歴史】
イチジクはブドウとともに紀元前から栽培されていた果物で、エジプトのピラミッドなどの遺跡の壁画に表わされたり、旧約聖書の中でアダムとイブの話にも登場する話題豊富な果物である。原産地はアラビア南部や、南西アジアといわれている。原産地に近いメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、エジプトではBC2700年という早い時代に栽培果樹として扱われていたとされ、ギリシアなどでも紀元前から栽培されていた。古代ローマでは最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている。
アメリカには16世紀末にスペインの移住者によって導入された。現在、カリフォルニア州はアメリカのドライフルーツ産業の中心である。中国には8世紀にインド、またはペルシャから伝わったとされるが、異説もあり中国に伝来した年代は明らかでない。
日本へのイチジクの伝来は、江戸時代の寛永年間(1624-1644)に中国を経て渡来したという説と、ペルシャから中国を経て長崎に伝来した説がある。日本には江戸時代初期に、日本に古く渡来した在来種とは別で、のちに果樹として洋種が栽培されている。
イエズス会のポルトガル人宣教師で長崎コレジオの院長、ディオゴ・デ・メスキータ神父[14]がマニラのコレジオ院長、ファン・デ・リベラ神父[15]にあてた1599年10月28日付けの書簡によると、ポルトガル航路(リスボン〜ゴア〜マカオ〜長崎)で日本にブリゲソテのイチジク(higos brigesotes)の株が運ばれ、日本には現在、それが豊富にあるとの記述がある。この史料からイチジクの西洋種、ブリゲソテが苗木の形で日本(長崎)に到達し、後に長崎のイエズス会の住居の庭に植えられたことが分かった。
また、キリシタン史研究家で元立教大教授の海老沢有道はイチジクの伝来についてメスキータ神父の同書簡から、天正遣欧少年使節に随行し、ポルトガルから長崎港に着いた時、すなわち「イチジクの伝来は1590年として誤りないものと考える」「長崎帰朝後早速長崎の修院か教会に移植したであろう」とした。
当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。明治時代に多数の品種が主として米国より導入されたが、明治時代のイチジクは散在果樹の域を出ず、イチジクの経済栽培は大正時代に入ってからである。イチジクは風味と食味を出すために樹上で完熟させる必要があり、熟果は痛みやすく店持ちが悪く、鮮度も要求されるという特有の性質がある[6]。このためイチジクの経済栽培は消費地に近い都市近郊に限られていた。今日は予冷など鮮度保持技術の開発により、中山間地・遠隔地から大市場への出荷も可能になり、また栽培技術の進歩により生産・流通の形態が多様化し、水田転作やミカンの園地転換の作目として、また地域おこしの品目として各地でイチジクが見直されている。

【食用】
果実は生食するほかに乾燥イチジク(ドライフィグ)として多く流通する。欧米では生食は極めて少なく、大部分は乾果として利用されている。果実の赤い部分の食感は、花の部分によるものである。食材としての旬は8 - 11月とされ、果実がふっくらと丸みがあり、果皮に張りと弾力があるものが商品価値が高い良品とされる。
生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。特に宮城県では甘露煮を前提に加工用の種が主に栽培されている。また、いちじくの天ぷらもある。
果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている。

【文化とエピソード】
『旧約聖書』の創世記(3章7節)に「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されている。
また、『新約聖書』のルカによる福音書(13章6〜9節)でキリストは、実がならないイチジクの木を切り倒すのではなく、実るように世話をし肥料を与えて育てるというたとえ話を語っている(実のならないいちじくの木のたとえ)。一方でマルコによる福音書(11章12節〜)では、旅の途中イチジクの木を見つけた空腹のキリストがその木にまだ実がなっていないのに腹を立て、呪いの言葉を述べると翌日その木が枯れていたというエピソードがある。
その他にもイチジクは聖書の中でイスラエル、または、再臨・終末のたとえと関連してしばしば登場する。
イチジクはバラモン教ではヴィシュヌ神、古代ギリシャではディオニュソスへの供物であり、ローマ建国神話のロムルスとレムスはイチジクの木陰で生まれたとされている。他の民族でもイチジクは生命力や知識、自然の再生、豊かさなどの象徴とされている。イチジクを摘むと花柄からラテックスと呼ばれる樹液が滴る。この樹液は母乳や精液になぞらえられ、アフリカの女性の間では不妊治療や乳汁分泌の促進に効果がある塗油として使われてきた。
古代ローマの政治家大カトは、第一次・第二次ポエニ戦争を戦った敵であるカルタゴを滅ぼす必要性を説くため、演説の中でカルタゴ産のイチジクの実を用いたと伝えられる。イチジクの流通は乾燥品が中心であった当時において、カルタゴから運ばれたイチジクが生食できるほど新鮮であることを示し、カルタゴの脅威が身近にあることをアピールしたのだという。
聖書の創世記のエピソードから転じて、英語などで「イチジクの葉」(fig leaf)が「隠したいことを覆い隠すもの」という比喩表現として用いられる。また、中世には、彫刻や絵画で性器が露出されている部分をイチジクの葉で覆い隠す「イチジクの葉運動」が行われた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』