2024.08.18
昨日8月17日はパイナップルの日でした。 パイナップルの日は、東京都の株式会社ドールが制定し、日本記念日協会に認定・登録されました。 「パ(8)イ(1)ナ(7)ップルの語呂合わせだそうです。 (2024.08.18)
【パイナップル】 パイナップル(パインアップル、パインナップル、英: Pineapple、学名: Ananas comosus)は、熱帯アメリカ原産のパイナップル科の多年草、またはその肥大した実である。単にパインと略してよばれることもあるほか、漢名は菠蘿(はら、ポーロ)、または鳳梨(ほうり、オンライ、フォンリー)である。台湾では鳳梨、中国では菠蘿と表記する。また、植物名としてアナナスとよぶこともあり、果実や可食部のみパイナップルとよんで区別することもある。 「パイナップル」(pineapple)という名前は、本来は松 (pine) の果実 (apple) 、すなわち「松かさ」(松ぼっくり)を指した。これが18世紀ごろに、似た外見をもつ本種の果実に転用され今に至る。生産量は増加傾向にあり、コスタリカ、フィリピン、ブラジル産が多く、果実は甘い香りと果汁がたくさん含まれている。
【歴史】 原産地はブラジル、パラナ川とパラグアイ川の流域地方であり、この地でトゥピ語族のグアラニー語を用いる先住民により、果物として栽培化されたものである。15世紀末、ヨーロッパ人が新大陸へ到達した時は、既に新世界の各地に伝播、栽培されていた。 クリストファー・コロンブスの第2次探検隊が1493年11月4日、西インド諸島のグアドループ島で発見してからは急速に他の大陸に伝わった。 1513年には早くもスペインにもたらされ、次いで当時発見されたインド航路に乗り、たちまちアフリカ、アジアの熱帯地方へ伝わった。当時海外の布教に力を注いでいたイエズス会の修道士たちは、この新しい果物を、時のインド皇帝アクバルへの貢物として贈ったと伝えられる。 次いでフィリピンへは1558年、ジャワでは1599年に伝わり広く普及して行った。そして1605年にはマカオに伝わり、福建を経て、1650年ごろ台湾に導入された。日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられたが、1845年にオランダ船が長崎へもたらした記録もある。1913年(大正2年)頃には、夜店で1個1-5銭で安売りされていた記録も残る。1895年の台湾統治により、渡台した大阪の岡村庄太郎がパイナップル缶詰の研究を始め、1901年に商品化、翌年鳳山に岡村鳳梨製造所を設立したのをはじめ、パイナップル缶詰工業が日本人によって台湾に導入され、第一次大戦後には需要の拡大により台湾産パイナップルの生産量が激増、その9割が日本本土に輸出された。2021年、台湾産パイナップルの中国大陸への禁輸措置に対しフリーダム・パイナップル運動が起きた。
【主要生産国】 パイナップルが盛んに生産されるようになったのは缶詰の製造が行われるようになった19世紀末から20世紀初頭である。2002年時点のFAOの統計によると世界生産量は1485万トン。1985年時点に比べて60%以上拡大している。主要生産国はタイ (13.3%)、フィリピン (11.0%)、ブラジル (9.9%)、中国 (8.6%)、インド (7.4%)、コスタリカ、ナイジェリア、ケニア、メキシコ、インドネシアである。1985年の世界総生産は923万トンで、主産地はタイ、フィリピン、ブラジル、インド、アメリカ、ベトナムなどである。1985年から2002年までのシェアの推移をたどると、米国のシェアが6%から2%までじりじり下がっていることが特徴である。既に米国は上位10カ国に含まれていない。日本では沖縄本島北部の東村、西表島、石垣島が主産地で2002年時点では1万トンである。日本で流通しているパイナップルの大半はフィリピンからの輸入物である。
【繊維】 また熱帯では果実のみならず、葉から繊維を採って利用することがある。この繊維は白色強靭、絹糸状で長さ38 - 90センチメートル (cm) 、採取率は通常2 - 3%に過ぎないが、この繊維で織った布は手触りが麻に似て紗のように薄く、フィリピンや太平洋のマリアナ諸島ではピニャといって、これで礼服を仕立てる習慣がある。繊維を採る目的でパイナップルを栽培するときは、日光を制限して密植し、果実は若い間に取り去ってしまう。
【記念日】 ・沖縄県や農林水産省などは8月1日を「パインの日」に定めている。 ・果実生産会社であるドールは8月17日を「パイナップルの日」に定めている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昨日8月17日はパイナップルの日でした。
パイナップルの日は、東京都の株式会社ドールが制定し、日本記念日協会に認定・登録されました。
「パ(8)イ(1)ナ(7)ップルの語呂合わせだそうです。
(2024.08.18)
【パイナップル】
パイナップル(パインアップル、パインナップル、英: Pineapple、学名: Ananas comosus)は、熱帯アメリカ原産のパイナップル科の多年草、またはその肥大した実である。単にパインと略してよばれることもあるほか、漢名は菠蘿(はら、ポーロ)、または鳳梨(ほうり、オンライ、フォンリー)である。台湾では鳳梨、中国では菠蘿と表記する。また、植物名としてアナナスとよぶこともあり、果実や可食部のみパイナップルとよんで区別することもある。 「パイナップル」(pineapple)という名前は、本来は松 (pine) の果実 (apple) 、すなわち「松かさ」(松ぼっくり)を指した。これが18世紀ごろに、似た外見をもつ本種の果実に転用され今に至る。生産量は増加傾向にあり、コスタリカ、フィリピン、ブラジル産が多く、果実は甘い香りと果汁がたくさん含まれている。
【歴史】
原産地はブラジル、パラナ川とパラグアイ川の流域地方であり、この地でトゥピ語族のグアラニー語を用いる先住民により、果物として栽培化されたものである。15世紀末、ヨーロッパ人が新大陸へ到達した時は、既に新世界の各地に伝播、栽培されていた。 クリストファー・コロンブスの第2次探検隊が1493年11月4日、西インド諸島のグアドループ島で発見してからは急速に他の大陸に伝わった。 1513年には早くもスペインにもたらされ、次いで当時発見されたインド航路に乗り、たちまちアフリカ、アジアの熱帯地方へ伝わった。当時海外の布教に力を注いでいたイエズス会の修道士たちは、この新しい果物を、時のインド皇帝アクバルへの貢物として贈ったと伝えられる。 次いでフィリピンへは1558年、ジャワでは1599年に伝わり広く普及して行った。そして1605年にはマカオに伝わり、福建を経て、1650年ごろ台湾に導入された。日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられたが、1845年にオランダ船が長崎へもたらした記録もある。1913年(大正2年)頃には、夜店で1個1-5銭で安売りされていた記録も残る。1895年の台湾統治により、渡台した大阪の岡村庄太郎がパイナップル缶詰の研究を始め、1901年に商品化、翌年鳳山に岡村鳳梨製造所を設立したのをはじめ、パイナップル缶詰工業が日本人によって台湾に導入され、第一次大戦後には需要の拡大により台湾産パイナップルの生産量が激増、その9割が日本本土に輸出された。2021年、台湾産パイナップルの中国大陸への禁輸措置に対しフリーダム・パイナップル運動が起きた。
【主要生産国】
パイナップルが盛んに生産されるようになったのは缶詰の製造が行われるようになった19世紀末から20世紀初頭である。2002年時点のFAOの統計によると世界生産量は1485万トン。1985年時点に比べて60%以上拡大している。主要生産国はタイ (13.3%)、フィリピン (11.0%)、ブラジル (9.9%)、中国 (8.6%)、インド (7.4%)、コスタリカ、ナイジェリア、ケニア、メキシコ、インドネシアである。1985年の世界総生産は923万トンで、主産地はタイ、フィリピン、ブラジル、インド、アメリカ、ベトナムなどである。1985年から2002年までのシェアの推移をたどると、米国のシェアが6%から2%までじりじり下がっていることが特徴である。既に米国は上位10カ国に含まれていない。日本では沖縄本島北部の東村、西表島、石垣島が主産地で2002年時点では1万トンである。日本で流通しているパイナップルの大半はフィリピンからの輸入物である。
【繊維】
また熱帯では果実のみならず、葉から繊維を採って利用することがある。この繊維は白色強靭、絹糸状で長さ38 - 90センチメートル (cm) 、採取率は通常2 - 3%に過ぎないが、この繊維で織った布は手触りが麻に似て紗のように薄く、フィリピンや太平洋のマリアナ諸島ではピニャといって、これで礼服を仕立てる習慣がある。繊維を採る目的でパイナップルを栽培するときは、日光を制限して密植し、果実は若い間に取り去ってしまう。
【記念日】
・沖縄県や農林水産省などは8月1日を「パインの日」に定めている。
・果実生産会社であるドールは8月17日を「パイナップルの日」に定めている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』