2024.07.29
7月30日はは梅干の日だそうです。 和歌山県日高郡みなべ町の東農園が2004年に制定した記念日「梅干しの日」です。 「梅干しを食べると難が去る」と言い伝えられていて、7(なん)が30(さる)の語呂合わせで、7月30日を梅干しの日に決めたそうです。 おかげさまで07月29日R-18男性に人気第222位、 R-18女性に人気第269位にランクイン! ブクマ・評価頂き有難う御座います! (2024.07.29)
【梅干】 梅干し(うめぼし)は、ウメの実の塩漬けを干した食品。ウメの果実を漬けたものを梅漬けといい、梅干しは梅漬けを干したものである。日本では古くから伝わり、おにぎりや弁当に使われる食品である。非常に酸味が強く、酸っぱい食品の代名詞のように扱われる。梅干しのこの酸味は主に、梅自体に含まれるクエン酸に由来する。7月30日が梅干しの日となっている。ナン(難)がサル(去る)の語呂合わせで、梅産地として知られる和歌山県みなべ町の農園が中心となって制定した。
【前史】 ウメは中国の華中から華南の地域が原産とされている。『斉民要術』には白梅(梅の実を塩水に漬けて調味料などとして用いるもの)や烏梅(梅の実を燻して乾燥させたもの)などの記載があり、これらのウメ加工品が遣唐使の往来によって日本にもたらされたと考えられている。
【平安時代】 梅干しが初めて文献に登場するのは10世紀中頃のことである。村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っている。また、菅原道真が梅を詠んだ短歌はよく知られ、これは「釣りのときに持参する弁当に梅干しを入れて行くと、魚が釣れない」という言い伝えの起源となった。
【戦国時代】 戦国時代になると梅干しは保存食としてだけではなく、傷の消毒、戦場での食中毒や伝染病の予防になくてはならないものとして、陣中食に使われた。梅干しは戦略物資の一つとなり、戦国武将たちは梅の植林を奨励した。これは現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っている。上杉謙信は酒肴に梅干しをよく食べていたと言われる。
【江戸時代】 江戸時代になると、現在の梅干の作り方とほぼ同じ作り方が『本朝食鑑』(1697年)に現れる。「熟しかけの梅を取って洗い、塩数升をまぶして2、3日漬け、梅汁ができるのを待って日にさらす。日暮れになれば元の塩汁につけ、翌朝取り出しまた日に干す。数日このようにすれば梅は乾き汁気はなくなり、皺がよって赤みを帯びるので陶磁の壷の中に保存する。生紫蘇の葉で包んだものは赤くなり珍重される」とある。これより50年後の『黒白精味集』(1746年)にも梅干の作り方が見え、製法は『本朝食鑑』とほぼ同じである。江戸時代の銀山では、坑内に立ちこめる鉱塵(こうじん)による粉塵公害「けだえ」が問題であった。備中国笠岡の医師・宮太柱は数々の「けだえ」防止の装置を発明したが、鉄の枠に梅肉を挟み薄絹を張った防毒マスク「福面(ふくめん)」は、酸の効果で鉱塵を寄せつけず効果が絶大だったという。これがきっかけとなり後年、坑夫たちの家族によって梅紫蘇巻という食品が生み出された。濃口醤油が関東に広がるのは江戸時代中期以降であり、それまでは梅干しを日本酒で煮詰めた「煎り酒」が「垂れ味噌」と共に調味料として広く使われていた。また、正月、節分、大晦日などに縁起かつぎとして昆布や梅干しにお茶を注いだ「福茶」を飲む習慣が広がった。
【生産】 和歌山県ではみなべ町や田辺市が主な生産地であり、これらの地で生産される紀州南高梅と呼ばれる品種のウメを用いた梅干しは、県の推薦優良土産品に指定されている。奈良県も五條市や下市町を中心に梅の栽培が盛んであり、吉野では八重桜を漬け込んだ商品も出ている。
【文化】 ・俳句では夏の季語である。 ・白飯の真ん中に梅干しをのせただけの弁当を、日の丸に見立てて「日の丸弁当」と呼ぶ。アルミニウムの弁当箱では、同じ場所に梅干しを入れることを繰りかえした場合、酸によって箱が溶けることがあったため、アルマイト加工を施した弁当箱が登場した。 ・旅行をする人の中には、旅行地での料理に飽きた時の口直しや気分不快の際の気分転換を目的として、梅干しを持参する人もいるといわれる。 ・申年に作った梅干しは「縁起が良く、食べると健康長寿になる」という。これは平安時代に村上天皇が申年の梅干しで病気を治したことに由来する。一方、江戸時代の天明の飢饉は、申年に始まったが、紀州藩は梅干しの力で死者をほとんど出さなかったからだという説もある。 ・日本語の料理の味加減や物事の具合を表す「塩梅(あんばい)」は、塩と梅酢のこと。本来の読みは文字通りの「えんばい」だったが、「程よく物事を処理する」意味の「按排(あんばい)」と混同が起き「塩梅」と書いて「あんばい」と呼ぶようになったと考えられる。 ・「梅干しを見ただけで、よだれが出る」現象が条件反射の例として挙げられる[45]が、梅干を知らない者にはよだれは発生しない。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
7月30日はは梅干の日だそうです。
和歌山県日高郡みなべ町の東農園が2004年に制定した記念日「梅干しの日」です。 「梅干しを食べると難が去る」と言い伝えられていて、7(なん)が30(さる)の語呂合わせで、7月30日を梅干しの日に決めたそうです。
おかげさまで07月29日R-18男性に人気第222位、
R-18女性に人気第269位にランクイン!
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(2024.07.29)
【梅干】
梅干し(うめぼし)は、ウメの実の塩漬けを干した食品。ウメの果実を漬けたものを梅漬けといい、梅干しは梅漬けを干したものである。日本では古くから伝わり、おにぎりや弁当に使われる食品である。非常に酸味が強く、酸っぱい食品の代名詞のように扱われる。梅干しのこの酸味は主に、梅自体に含まれるクエン酸に由来する。7月30日が梅干しの日となっている。ナン(難)がサル(去る)の語呂合わせで、梅産地として知られる和歌山県みなべ町の農園が中心となって制定した。
【前史】
ウメは中国の華中から華南の地域が原産とされている。『斉民要術』には白梅(梅の実を塩水に漬けて調味料などとして用いるもの)や烏梅(梅の実を燻して乾燥させたもの)などの記載があり、これらのウメ加工品が遣唐使の往来によって日本にもたらされたと考えられている。
【平安時代】
梅干しが初めて文献に登場するのは10世紀中頃のことである。村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っている。また、菅原道真が梅を詠んだ短歌はよく知られ、これは「釣りのときに持参する弁当に梅干しを入れて行くと、魚が釣れない」という言い伝えの起源となった。
【戦国時代】
戦国時代になると梅干しは保存食としてだけではなく、傷の消毒、戦場での食中毒や伝染病の予防になくてはならないものとして、陣中食に使われた。梅干しは戦略物資の一つとなり、戦国武将たちは梅の植林を奨励した。これは現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っている。上杉謙信は酒肴に梅干しをよく食べていたと言われる。
【江戸時代】
江戸時代になると、現在の梅干の作り方とほぼ同じ作り方が『本朝食鑑』(1697年)に現れる。「熟しかけの梅を取って洗い、塩数升をまぶして2、3日漬け、梅汁ができるのを待って日にさらす。日暮れになれば元の塩汁につけ、翌朝取り出しまた日に干す。数日このようにすれば梅は乾き汁気はなくなり、皺がよって赤みを帯びるので陶磁の壷の中に保存する。生紫蘇の葉で包んだものは赤くなり珍重される」とある。これより50年後の『黒白精味集』(1746年)にも梅干の作り方が見え、製法は『本朝食鑑』とほぼ同じである。江戸時代の銀山では、坑内に立ちこめる鉱塵(こうじん)による粉塵公害「けだえ」が問題であった。備中国笠岡の医師・宮太柱は数々の「けだえ」防止の装置を発明したが、鉄の枠に梅肉を挟み薄絹を張った防毒マスク「福面(ふくめん)」は、酸の効果で鉱塵を寄せつけず効果が絶大だったという。これがきっかけとなり後年、坑夫たちの家族によって梅紫蘇巻という食品が生み出された。濃口醤油が関東に広がるのは江戸時代中期以降であり、それまでは梅干しを日本酒で煮詰めた「煎り酒」が「垂れ味噌」と共に調味料として広く使われていた。また、正月、節分、大晦日などに縁起かつぎとして昆布や梅干しにお茶を注いだ「福茶」を飲む習慣が広がった。
【生産】
和歌山県ではみなべ町や田辺市が主な生産地であり、これらの地で生産される紀州南高梅と呼ばれる品種のウメを用いた梅干しは、県の推薦優良土産品に指定されている。奈良県も五條市や下市町を中心に梅の栽培が盛んであり、吉野では八重桜を漬け込んだ商品も出ている。
【文化】
・俳句では夏の季語である。
・白飯の真ん中に梅干しをのせただけの弁当を、日の丸に見立てて「日の丸弁当」と呼ぶ。アルミニウムの弁当箱では、同じ場所に梅干しを入れることを繰りかえした場合、酸によって箱が溶けることがあったため、アルマイト加工を施した弁当箱が登場した。
・旅行をする人の中には、旅行地での料理に飽きた時の口直しや気分不快の際の気分転換を目的として、梅干しを持参する人もいるといわれる。
・申年に作った梅干しは「縁起が良く、食べると健康長寿になる」という。これは平安時代に村上天皇が申年の梅干しで病気を治したことに由来する。一方、江戸時代の天明の飢饉は、申年に始まったが、紀州藩は梅干しの力で死者をほとんど出さなかったからだという説もある。
・日本語の料理の味加減や物事の具合を表す「塩梅(あんばい)」は、塩と梅酢のこと。本来の読みは文字通りの「えんばい」だったが、「程よく物事を処理する」意味の「按排(あんばい)」と混同が起き「塩梅」と書いて「あんばい」と呼ぶようになったと考えられる。
・「梅干しを見ただけで、よだれが出る」現象が条件反射の例として挙げられる[45]が、梅干を知らない者にはよだれは発生しない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』