タイトル 10/18は、フラフープ記念日
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2026.10.12

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少し早めですが10/18は、フラフープ記念日です。
1958年(昭和33年)10月18日に日本でフラフープが初めて発売されたことに由来しています。
1本 270円で1カ月で約80万本が売れる大ヒットとなりましたが、腸捻転の噂などの誤認で学校で禁止になるなどして廃れました。
(2026.10.12)

【フラフープ】
フラフープ(Hula hoop)は、直径1mほどのプラスティック製などの素材の輪で、輪の中に入った人が腰などを振って回転させるための輪。フラダンスのように腰を動かしてフープを回すため「フラフープ」と命名された。腰以外にも首・腕・足などを使い、身体の各部位で回して楽しむ。"Hula-Hoop"は登録商標であるため、アメリカでは「フラフープ」とはあまり呼ばれず、「フープ (Hoop) 」と呼ぶのが普通である。そのため、フープを回すことをフーピング、フラフープで技を行う人をフーパーと呼ぶ。遊具としての使用が主流だが、近年、パフォーマンスや競技、ダイエット用品として使用されている。

【歴史】
フラフープの起源は不明である。しかし、約3000年前の古代エジプトではブドウの蔦で作られた輪を棒で地面の上を転がしていたこと、古代ギリシャでは体重を落とすためにフープ状の物の使用が推奨されていたことが判明している。歴史を通して世界中の子供たちがいろいろな輪を使い、回したり転がしたり(輪回し)、投げたりして遊んだりしていた。14世紀に入ってイギリスでは「フーピング」が流行した。18世紀前半にハワイを訪れた船乗りがフラダンスとフーピングの間に類似点があることに気付き、「フラ」という言葉を「フープ」に付け加え、フラフープという言葉を作った。玩具会社「Wham-O」の創設者であるRichard KnerrとArthur Melinの2人は、1948年にロサンゼルスのガレージから出発し、パチンコを「Wham-O」として市場に送り出した。彼らは1957年に玩具として「フラフープ」を発売した。フラフープのアイデア自体は、オーストラリアを旅行したあるカリフォルニアの人物がKnerrとMelinに、オーストラリアでは体育の授業で竹でできたフープを子供たちが腰で回していたことを話したことがきっかけであった。KnerrとMelinはフラフープの特許を出願したが、フープは数千年以上も親しまれ続けてきたものであり、独創性というの特許の要件を満たしていないとして許可されなかった。そのため彼らは「フラフープ」の名称を商標登録した。これにより彼らの開発商品は守られ、ほとんどの子供たちが他社のプラスティック製フープに全く興味を示さないほど流行した。1958年にフラフープが発売された後、Wham-O社は2年間に1億本を売り上げた。フラフープの流行後、Wham-O社は「フリスビー」の発売で再び幸運を見出している。

【日本における流行とその後】
1958年にアメリカで大流行したことを受けて、同年10月18日に東京都の各デパートで一斉に販売が開始された。積水化学のポリエチレン管をアメリカの会社が加工して逆輸入したもので、価格は大人向けが270円で子供向けが200円。日産2万本のフラフープは、1か月で80万本が売れた。販売される店には行列ができ、日本中で爆発的に売れて一大ブームを起こした。人気のために品薄になり、マルサンなど他社も参入し、小売店が独自にポリエチレンのホースを繋げたものを150円で売ることもあった。また2日並んで購入した例もあったとされる。当時は「フラ・フープ」という表記もあった。フラフープは美容と健康によいと宣伝されたこともあり、子供ばかりでなく大人もこの遊びに参加して、競技大会も開催された。このフラフープ人気に、日活はフラフープを題材とした映画『月は地球を廻ってる』を1959年1月22日に公開し、日本コロムビアもレコード「フラ・フープ・ソング」を発売した。中島そのみが吹き込んだ「フラ・フープ・ソング」のレコードは1か月で3万枚を売り上げた一方、フラフープのブームが長く続かなかったこともあり、『月は地球を廻ってる』の成績は芳しいものではなかったものの、中島そのみにとっては初の主演映画であった。しかし、11月18日にフラフープ使用によるとされる胃穿孔で重体になる事件が起き、横浜市と神戸市でも同日に路上のフラフープで遊んでいた子供が交通事故に遭って警察庁もこれを問題視。さらに21日には千葉県で少年3人が腸捻転など内臓障害になったことから、千葉県東金市立東金小学校が11月22日に児童にフラフープ禁止令を出した。宮城県でも教育委員会が警告を出し、厚生省もフラフープと健康障害への影響を検討することになり、ブームは急速に沈静化。40日足らずで1958年の日本のフラフープブームは終焉した。病気等を理由とした流行玩具の衰退事例は、この2年前に流行したホッピング(胃下垂や骨膜炎の原因された)に次ぐものとなった。その後、日本中が巻き込まれるブームは1960年のダッコちゃんブームにつながっていった。腸捻転の事例は大半が千葉県内の特定の病院に集中していた。後日、これらの症状とフラフープの因果関係は科学的に否定されている。2010年11月にはこのことと関連付けて、東金市が市の中央公園にフラフープの記念碑を建てた。日本ビクターはフラフープの長時間レース用のレコードとして、既存曲をメドレーにして吹き込んだ『これがフラ・フープ!』(演奏:有馬徹とノーチェ・クバーナ、ブライト・リズム・ボーイズ、規格品番:EV-107。A面:「フラ・フープ・メドレー」、B面:「世界一周フラ・フープ」)を発売し、興安丸を貸し切ってのフラフープ大会まで行ったが、ブームが急速に終焉したため当てが外れたという。1971年にブーム再来を狙い、ハイゼックスを使用し鈴がついたフラフープが発売された。
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